自己肯定感を高めることって難しすぎるよねって話
自己評価低めの名無しが自己評価の上げ方を考えてみる。
- 名無しは自己肯定感が低い
- 自己肯定感を上げるためには”成功体験”が必要
- ”成功体験”より”失敗体験”の方が頭に残りやすい
- ”成功体験”は時に足元をすくいにくる
- 自己肯定感を高めることはトランプタワーを建てることに似ている
名無しは自己肯定感が低い
自己肯定感(じここうていかん)とは、自らの在り方を積極的に評価できる感情、自らの価値や存在意義を肯定できる感情などを意味する言葉である。しかし、後述のように定まった定義はなく、他の類似概念との弁別も充分とは言えない。
と、Wikipediaは申しております。
”自己肯定感”という単語自体に決まった定義はないので人によって、あるいは場合によって意味合いが変わるようなのです。
だからこの場での”自己肯定感”というのがどういう単語か定義しておくと、
様々な状況下でその場所に自分がいることに意味がある、価値がある。
といった感じ。
で、私にはこの自己肯定感が低いのです。
つまりどういうことかと言うと、
自分が居ても居なくても別にどうでも良くね?
と思う瞬間が度々あるということです。
自己肯定感を上げるためには”成功体験”が必要
自己肯定感を上げるということはすなわちその場その場での自分の存在価値を見出す必要があります。
で、その存在価値を見出すにはどうしても成功体験が必要になってくるのです。
例えば仕事で言えばなにか一つでも実績を上げることができれば仕事場に自分がいる意味を自分自身で見出すことができます。
プライベート、例えば複数人のグループで遊ぶ場合であれば、コミュニケーションの輪の中にうまく入り込むことができればその場にいる自分を好意的に受け止めることができます。
そういった成功体験を積み重ねることで色々な場所に自分がいること自体に価値を見出せるようになり、その積み重ねが結果的に自己肯定感を高めることに繋がるのです。
ところが”成功体験”よりも強烈に頭に残りやすいものがあるのです。
それこそ”失敗体験”なのです。
”成功体験”より”失敗体験”の方が頭に残りやすい
物事はポジティブなものよりもネガティブなものの方がなによりも得やすいのです。
人に好かれるよりも嫌われる方が簡単ですし、体型も痩せるより太らせる方が簡単です。
貯金は難しくても浪費は簡単にできますし、物は持ち上げるより落とす方が簡単です。
繰り返しになりますが物事はポジティブなものよりもネガティブなものの方が何よりも得やすいのです。
で、ここからは正味個人差があることだとは思うのですが私の場合、ポジティブなことよりもネガティブなことの方が頭に残りやすいのです。
仕事でもプライベートでも「これはうまくいったなぁ」という経験は結構早く記憶から消えていくのですが「これはやってしまったなぁ」という経験はいつまでも記憶に残り続けるのです。
ポジティブに考えるなら失敗を糧にする姿勢があると言えるのですが、普通に考えたらこんなものただただ引きずっているだけですからね。
これには個人的思考に出来事の成功・失敗について、
なにかに成功した時は運が良かったからと考え、失敗した時は努力が足りなかったからと考える
という癖があるのもネガティブなこと=失敗体験の方が頭に残りやすい理由の大きな一つなんだろうなぁとも思います。
”成功体験”は時に足元をすくいにくる
仮に失敗体験を次の成功体験へ繋げる糧に出来るくらいまでに自己肯定感を高めることができたとしても、そうなると今度は成功体験が足下をすくいにくる時もあるのです。
仕事でもプライベートでも「あの時はこのやり方でうまくいったよな」というやり方が次に同じようなシチュエーションでうまくハマる時もあれば逆にまったくハマらない時だってあるのです。
何度も書きますが自己肯定感を高めるためには成功体験を積み重ねる必要があるのです。
でも時にその成功体験が新たな失敗体験を呼び込む原因ともなり得るのです。
自己肯定感を高めることはトランプタワーを建てることに似ている
自己肯定感を高めることが難しいのは、自己肯定感を高めるためにやるべき事が結果的に逆に自己肯定感を下げる事に繋がりかねないからです。
この辺の感覚は物を積み立てる作業に通ずるものを感じます。
例えばトランプタワー。
段数の少ないうちは倒れにくいですし、倒れたとしてもダメージは小さくすみます。
で、どんどん高く積み上げていくとそれに伴って達成感が高まる一方、小さなミスで大きなダメージを負うことになってしまいます。
裏を返せばダメージを負う覚悟がないのなら上を目指そうとなんかするな、ということでもあるんですけどね。
いやぁやっぱり自己肯定感を高めることは難しすぎる。