日頃思うことを呟く名無し

ゲームだとかカメラだとか漫画だとかエンタメだとか、日頃の生活の中で溜まった毒を吐き出すサンドバック。

テレビって視聴者をバカにしているよねって話

モロにテレビ離れをした名無しがテレビの表現規制について考える。

 

 

 

 

 

痛みを伴う笑いは規制される

www.sankei.com

まぁ別にここ最近の話ではないのですが、笑いから痛みを取り除こうという話があります。

放送倫理・番組向上機構BPO)には、番組中の過度な表現が「青少年が模倣し、いじめに発展しかねない」という見解があるようなのです。

別にこの見解に対してどうこう思うことはありません。

事実として”痛みを伴うバラエティ”に過去の経験から不快感を抱く人は多からずいることでしょうし、実際にいじめとして発展し得るケースもあることでしょう。

だから別にBPOの見解が間違っているとは思いません。

でもね。

”痛みを伴うバラエティ”に過去の経験から不快感を抱く人が、果たして好んで”痛みを伴うバラエティ”を観るのでしょうか。

2011年に発生した東日本大地震による津波の被害を受けた人が、津波で町が壊されていくような映像を自ら観る理由はありません。

不快な番組の視聴を強制させられる視聴者など存在しません。

観たくないのなら観なければいい。

暴論かもしれませんが、少なくとも「観たくないものは作らなければいい」というよりは遥かにマシな暴論でしょう。

また”痛みを伴うバラエティ”に感化されて誰かをいじめた子供がいたとして、果たしてその子供はバラエティに性格を歪められたと断言しても良いのでしょうか。

そういう子供は最初から性格が歪んでいると考えた方が自然だと断言します。

ミステリーを見て人を殺したくなるのでしょうか。

漫才のツッコミを見て誰かを叩きたくなるのでしょうか。

プロレスを見て誰かに飛び蹴りをかましたくなるものでしょうか。

ドラマにしろバラエティにしろ視聴者はテレビの中で起こっている出来事をある意味非現実的なものとして捉えている側面はあるはずです。

だからこそ視聴者はなにか深いことを考えることなくおかしな事がテレビの中で起こっていれば笑うし、風刺の効いた作品には賛否の声が溢れるのです。

テレビの液晶面が視聴者にとって現実と非現実の境界線となっているのです。

アニメがもっともわかりやすい一例でしょうか。

だから普通の人は傑作ミステリーを見ても人を殺したくはなりませんし、異世界転生モノのアニメを見たって翌日にトラックの前に飛び出すようなこともしないのです。

これは”痛みを伴うバラエティ”にしても同じことが言えるのでは?

痛みがあろうがなかろうがバラエティはバラエティ。

ただの番組の企画であり、非現実的なイベントでしかありません。

BPOの見解は、燃え盛る火の中に自ら手を突っ込みながら「火傷した! この火を起こしたのは誰だ!」と難癖をつけるような性格が歪みまくった人に対しては、確かに正論であると思います。

つまりそうでない我々一般人からすればただただ表現に規制を設けているだけにしか感じないのです。

 

テレビは確実に衰退している

ja.wikipedia.org

バラエティという小さな枠組みに限らずテレビ業界全体についても書いておきましょう。

2000年代中頃から始まっているようですが、その主な原因はスマートフォンの普及とネットコンテンツ利用者の低年齢化にあるようです。

まぁテレビ離れと言ってもバラエティ番組は広い世代で見られているだろうし、というかそうじゃなきゃBPOの謎見解も通用しないので見られているはずなんですけど。

おそらくテレビ離れの影響をもっとも受けているのは報道番組でしょう。

ネット上での言論は保守派が主流、逆にテレビ上での言論はリベラル派が主流というイメージは強いはずです。

故にネットに触れる機会の多い若者層の間では、保守色の強い国民民主党や旧NHK党を支持する人が多く、それがさらに若者層の保守化というイメージを作り上げるのでしょう。

逆にテレビをよく見ているであろう高齢者層だと立憲民主党日本共産党のようなリベラル色の強い政党に支持が集まっています。

ここで書きたいのは、言論環境に偏りがあるみたいなことでは断じてなく、テレビの影響力は確実に弱まっていますよねという話です。

先ほども書きましたがいくら若者のテレビ離れが進んでいようともまったくテレビを見ないわけではないのです。

バラエティも見れば朝になれば当然報道番組だって見ているはずなのです。

それでも政治的思想がネットに触れる機会の多い若者層と少ない高齢者層との間にギャップがあることがその証明となるはずです。

と、すると。

先に書いたBPOによる”痛みを伴うバラエティ”に対する規制は果たして効果があるのか、という疑問が生じるわけです。

この疑問に対する一つの解が先ほども書いたバカには効くというもの。

そしてもう一つの解がそもそも効果はないという単純明快なものです。

 

テレビって視聴者をバカにしているよね

ここまできてタイトルの話になるのですが。

テレビの影響力が昔と比べて圧倒的に落ちぶれているのは確かです。

それだというのに一部のバカに向けてBPOは”痛みを伴うバラエティ”に対する規制を発表するのです。

明らかに効果はないだろうに。

なんでこんな不毛とも言えることをやっているのか、というとこれは私個人の考えなのですが。

テレビにはあくまでも昔の影響力が今でもあると信じているだけでしょう。

テレビ制作の上層部というべきか上澄層というべきか、そういう奴らはいまだにテレビには強力な求心力があると信じて疑わないのでしょう。

悪く言えばテレビを自分の都合よく操作できる洗脳装置として扱っているのではないか、とすら思う時が度々あります。

実際のところテレビにある洗脳力というのが時代と共に失われていったかと言えばそんなことはないと思います。

変わったのはテレビじゃなくて視聴者の方。

インターネットの普及に伴い自然と身についたネットリテラシー

これの影響力が強いのだと思います。

ネットリテラシーとは、

ネットリテラシーとは、インターネット・リテラシーを短縮した言葉で、インターネットの情報や事象を正しく理解し、それを適切に判断、運用できる能力を意味します。

らしいです。

重要なのは外から取り入れた情報を正しく理解し、判断できるようになるということ。

これにネットもテレビもありません。

ネットに触れる機会の多い若者ほどテレビの影響を受けにくいのもこれが要因の一つだと思っています。

識字率だとか平均IQとかそういう数字で表せない部分で日本人は昔と比べてとても賢くなったのです。

それを理解していないからこそテレビは視聴者をバカにしていると思ってしまうのです。

もしそれを理解しているのなら、テレビの制作にはバカしかいないってことになるんですけどね。

それも正解なのかな?

 

最後に

youtuberがテレビに出たり、テレビに出ていた芸能人がyoutubeを始めたり。

声優が大河ドラマに出たり俳優がアニメ映画の主役をこなしたり。

昔と比べて各業界との垣根が曖昧になっているように思います。

そういう要素もテレビの影響力を落としている要因の一つなのかもしれません。

若者にとってテレビっていうのがただ観るだけのものじゃない、特別なコンテンツではなくなっているのかも。

それが良いことなのか、悪いことなのか。

多様性を認める文化を推進するなら良いこととしなくてはいけないのでしょうね。