一つのことを継続することの難しさを痛感しているって話
飽き性の名無しが”続ける”ことの真の意味を考えてみる。
一つのブログを書き始めて早3年と七ヶ月
飽き性な自分からすれば「継続は力なり」ということわざは格言にすら思えるのです。
なにせ継続することが困難だからこそ、飽き性なわけですから。
そんな自分が3年以上も同じブログを書いてきたこと自体がちょっとした奇跡の様に思います。
ただ逆に3年も続けてくると、そこに”継続”という考えはなくて”惰性”という感覚の方が大きくなってきています。
どうしてこうなってしまったのか、と言えばその理由は単純です。
目的意識が曖昧だからです。
続けること自体に意味はない
継続は力なり。
そう言える様になるために書いてきたのがきらら追随記〜細々と息をするオタクの足跡〜というブログなのです。
実際3年以上同じブログを書き続けてきて「継続は力なり」と言える様になったかと言えばそんな気は一切しません。
それもやっぱりブログを書くこと自体が作業の様になってきてしまっているからなんですね、きっと。
書くこと自体に意味をもたせるようになり、中身まで考えて書かなくなってきてしまったから”惰性”であり”作業”となっているのです。
もちろんこれを仕事にしているのならそんな感覚でいても関係ないのかもしれません。
でも私は「継続は力なり」と言いたいがために書いている訳で、目的意識もなく書いているのでは書いていないのとさほど差はないのでは? とここ最近になって思うようになってきました。
とにかく飽き性の私が3年以上ブログを書いてきて学んだことは、
続けるということ自体は簡単で意味はない
ということです。
続けるなら、それにも中身が伴わなければ意味がないのです。
精神的向上心のないやつはバカだ
ここでいう”中身”というのがなにを指すのかを明記する必要があるのです。
簡単に言えば、
- 目的を達成することに遵守した内容である
- アクセス数を稼ぐ気力を前面に出す
この2点です。
要するにこれまでは独り言の様に書いてきた記事を改めて、読んでくれる人を意識した記事を書いてかつその内容に共感を得られる様に書かなければ、そんな記事を書き続けなければ「継続は力なり」など言えないということです。
私がブログを、まんがタイムきららというコンテンツにスポットを当ててブログを書く理由はただ一つです。
微力ながらまんがタイムきららというコンテンツの魅力を発信し、共有すること
これだけです。
そんな意気込みを胸にして気持ち新たにブログを書いていこうという、ナナシの独りぼっちの先占布告です。